コールドハーバーの戦い(May31–June12,1864)、アメリカ南北戦争(1861-65年)中の北軍にとって悲惨な敗北で、約18,000人の死傷者を出した。 ユリシーズ・S・グラント将軍は南軍の首都バージニア州リッチモンドに向かって執拗な追撃を続け、ロバート・E・リー将軍の南軍部隊に正面歩兵による攻撃を命じたが、その部隊はリッチモンドの北東約10マイル(16km)のコールドハーバーに定着していた。 その結果、リーの戦争における最後の大きな勝利と北軍の大虐殺となった。 1862年6月27日に行われたコールドハーバーでの戦闘は、ゲインズミルの戦い、第一次コールドハーバーの戦い、チカホミニー川の戦いと呼ばれることもあり、7日間の戦い(6月25日–7月1日)の一部であり、半島方面作戦(4月4日–7月1日)を終わらせたものであり、戦争の初期にリッチモンドを占領するための北軍の大規模な努力であった。